高校在学中は、私はコンプレックスのかたまりでした。
同窓会広報担当者(以下「WM」);
このたびはお忙しい中インタビューをお引き受けくださり、ありがとうございます!
先日は同窓会総会にもいらっしゃっていましたね。
瀬戸本さん;
こんにちは。17回生の瀬戸本淳と申します。
高校在学中は、まわりのみんながとても賢そうに見え、私はコンプレックスのかたまりでした。50年以上経った今、よく話を聞くと、みんなも同じ気持ちだったそうで、ほんとうに笑ってしまいますよね。
神戸大学の建築学科を卒業して鹿島建設に入社しました。設計部に入る前の東京での研修中の現場に、設計事務所の若い人が来て、いろいろ指示しているのを見ました。この時、ゼネコン以外にも建築設計事務所という立場での設計者がいるのを、はじめて知ることになります。全く、無知の極みです。
鹿島では、自分は歯車のひとつにもなれないのではないかという恐怖心もあり、退社させていただきました。そして幸いなことに高校の友人のお父様の紹介で、安井建築設計事務所に入ることができました。(現在もすばらしい事務所です。)
この時の喜びは一生の思い出です。
8年間、サントリーさんなどの建築の設計をしながら、楽しく過ごしていました。
WM; 鹿島建設を退社して建築設計事務所に入られたんですね。
瀬戸本さん;
はい。しかしある時から、事務所の雰囲気がおかしくなってきました。
後でわかったのですが、日本中を襲ったオイルショックだったのです。
そんな時、一緒に遊んでいた同期の親友が独立して設計事務所を構えました。
彼の仕事は、なかなか順調で、あんたも独立したらと強く勧めてくれたのです。
彼にできるなら自分にもできるだろうと、増長して無謀にも神戸の北野町で瀬戸本淳建築研究室という設計事務所を開設することにしました。
30才の時でした。
しかし、愚かな事に仕事をいただく方法を知らず、苦しい貧窮の、後悔の日々が続くことになります。けれども嬉しいことに、徐々にではありますが、なぐさめ、助けて下さる方々が現れ、名前も少し知ってもらえるようになりました。
恥じるべきことも、失敗もいっぱいあったのですが、設立以来40年、ほんとうに多くの方々に支えていただいて、なんとかここまで来ました。有縁の悦びです。
おかげさまで、阪神間を中心に500以上のさまざまな建築の設計をさせていただいております。
これからも山あり谷ありでしょうが、与えられた使命に感謝しながら、みんなと一緒に奮闘し続けたいと願っているところです。
同窓会館改修のポイント
WM; 6年前に同窓会館の設計・建築をご担当くださいましたよね。とてもおしゃれで、素敵な会館になりました。
瀬戸本さん;
神戸高等学校同窓会館は、先輩諸兄(姉)のご努力で昭和31年に誕生しました。美しいプロポーションをもつファサード(外観)は近代建築としての歴史的価値を有し、緑のランドスケープと共に、学校の入口にふさわしい親近感を醸し出しています。
この度の大規模改修工事は、その外観を保存しながら交流の場として、さらに使いやすく再生することが目的でした。
7年間にわたって田邉信好前会長はじめ、役員の方々、そして関一雄前事務局長、事務局の皆様から設計条件等のご指導をいただき、平成23年5月28日に晴れてオープニングを迎えることができました。感謝いたしております。
WM;
本当に素敵な会館に生まれ変わりました。最初に入ったときは「ここは旅館?」と錯覚したのを(笑)、鮮明に覚えています。
改修に際し、瀬戸本さんがポイントにされたことを教えていただけますか。
瀬戸本さん;
1階のエントランスポーチでは、階段はゆるやかに改修し、手摺を増やしました。
階段とポーチの床は、雨でも滑りにくいタイル貼です。ポーチ正面には、一中、県一、神戸高校の3つの掲示板があり、同窓会館としてのインフォメーション機能が高まりました。
エントランスホールの階段の両側には、休んでいただけるベンチソファーを2つ配置しています。エントランスホールの床も、滑りにくいタイル貼です。
3人乗りのエレベーターを新設しました。車イスの方も、1階と2階の移動が楽にできます。エレベーターは東京欽松会の寄贈によるものです。
欽松の間は12人ぐらいの会合に向いているお部屋です。テラスサッシを取り付けたので、庭とのつながりが良くなり、障子と木板に囲まれた気持ちの良い空間になっています。
鵬の間は20人ぐらいの会合に向いているお部屋です。こちらもテラスサッシを取り付けたので、庭を楽しむことができます。障子と木板に囲まれた、落ち着いた空間です。
1階の湯沸室が充実しましたので、各室でお茶等のサービスが、よりやりやすくなりました。
気持ちよく使えるトイレを3ヶ所設置しています。お体の不自由な方にも楽に使っていただけます。
2階のエントランスホールまで、外にスロープがつきました。駐車場からの動線上には、舗石ブロックを敷いて、歩きやすく、車イスでの移動も楽にできます。
2階のエントランスホールの正面に、オープンカウンター式のキッチンを設置しました。催し物の受付も可能です。
2階にも気持ちよく使えるトイレを2つ設置しました。
群巒の間は18人ぐらいの会合に向いているお部屋です。かつて、下に降りる階段がついていましたが、段差のない床にしました。障子に囲まれた気持ちの良い空間になっています。
大ホールはコンサートや講演会で130人から150人ぐらい、テーブル付の研修会で100人ぐらい、着席パーティー形式で100人ぐらいが使っていただける広さです。天井には、ルーバー格子として京都の北山杉を使っています。
昔は高価だった、床の間に使用する北山しぼり丸太ですが、現在は出荷が少なくなっています。北山杉の山を守るためにも、床柱以外の用途も考えなければならないところです。音楽の音が北山杉に反射することにより、さらに深みが出ることを期待して、採用されました。
ルーバーの奥の天井には、吸音する黒の断熱材を貼っています。
窓には木製ブラインドを取り付けました。他の材よりもいたみが少ないと考えています。外の緑の景色をやわらかく見せるのに役立っています。
大ホールの正面の壁は、同窓会館のシンボルでもありますので、修理して保存しました。オープニングの際には、石貼りの壁をバックに、佳生流の西村公延先生がすばらしいお花を活けて下さいました。
バックヤードには、使いやすいキッチンが設置されています。15帖ぐらいの広さがあるので、さまざまな催し物の控室として機能を発揮することでしょう。
昭和31年に完成した同窓会館は、4ヵ月半という短い工事期間だったことが資料で分かりました。そのためでしょうか、建物の骨格にあたる部分の水平、垂直の精度が芳しくなく、それを正しく整えていくのが、工事で大変苦労したところです。
耐震補強設計とエレベーターのシャフトの構造設計は、神高17回の構造家 武野朋子さんが担当して下さいました。
屋根等の防水工事は万全を期して施工しています。法的保証期間は10年ですが、15年以上は大丈夫と考えています。屋根は断熱防水を使用しています。エネルギーの消費量を少なくするために、可能な限りの断熱をしています。
2階の窓サッシは以前のものを使用していますが、ガラスは断熱性と防音性能の比較的高い、ペアガラスに取り替えました。
照明は省エネタイプのLEDと蛍光灯を用いています。節水型トイレ、省エネ型空調機などの設備機器を採用しました。
建て替えではなく、改修工事によって建物の寿命を延ばしたことは、地球環境に少し貢献できたと言えるのではないでしょうか。
床材は、傷がつきにくく、掃除はモップによる水拭きなので、ワックス塗のメンテナンスが不要な、優れた材です。下地の床を完全に水平にすることが工事のポイントでした。
各室の障子も断熱、防音に役立っています。障子は紙ではなく、丈夫なワーロン紙を使用していますので、少し破れにくいと考えています。
24時間換気を取り付けていますので、空気がいつも流れており、さわやかな感じがただよっています。
トイレの扉には男性・女性をあらわす、小さな青と赤のマグネットがついています。ひっくり返していただくと色が変わりますので、男女の比率に合わせて、対応が可能です。
間接光効果、ミラー効果などの手法により、交流の場として、質素ではありますが、少し華やいだ、エレガントな雰囲気を醸し出すように努力しました。ぜひ、皆様に大いに使っていただきたいところです。
限られた中で、難工事にもかかわらず、丁寧に美しく施工して下さった岡工務店の神高10回の岡繁男会長様はじめ、現場責任者の方々、各職方の皆様、アドバイスをして下さった、神高16回の建築家 橋本健治様、神高の歴史に詳しい神高17回の永田實先生、関係者の皆々に心より改めて感謝申し上げるところです。
ほんとうにありがとうございました。
WM;
ベビーカーや車いすでも利用できるようなトイレ、エレベーターがあるので利用しやすくなりました。細部へ気遣いを感じる同窓会館になったと思います。私の友人夫妻は、新しくなった同窓会館で披露宴を行ったんですよ!これからも、より多くの同窓生に会館を利用していただきたいですね。
瀬戸本さん;
大ホールには、さまざまな催しに対応できるように、映写装置や音響設備、スポットライトなどを備えていますからね。今後も皆さまにどのように使っていただけるのか楽しみです。
人生の曲がり角には必ず、だれかが路を示してくれるのです
WM;瀬戸本さんがお仕事をされていくうえで、神戸高校卒業生でよかった!と思われるようなことはありますか。
瀬戸本さん;
高校3年生の夏休み、木立でセミがはげしい合唱。緑に囲まれた北の教室で、はじめて女性の裸を描くことになりました。女性を見る勇気がなくて、想像するだけでも恐ろしくて、前日の夜、美術部の先生(日本画で有名な大橋良三画伯)に「病気なのですみません。行けません。」とことわりの電話を入れたのに、「何を考えているのだ。バカモン」とおこられる始末。
恥ずかしくも、じっと見つめると、女子大生のモデルさんは海にでも遊びに行ったのだろう、水着のあとがくっきりと白くまぶしい、美しい可憐な人でした。
男子生徒は私ひとりだけ、女生徒たちの視線が気になりながら、子どもから大人につきぬけていくような何かに圧倒される思いと、生身の美しい彼女に遠く及ばない自分の下手くそさにイライラが重なって、たちくらみを起こしていました。
それでも、未成熟な私が全身全霊、力をふりしぼって必死に生きていた瞬間でした。頭とは別に手が懸命に動く。キャンバスと筆のすれる音のひびき、絵の具のむせる匂いがたちこめる。全ての毛穴がとんでもない空間と状況を感じとっていました。
甘い記憶と、下手にしか描けなかった挫折感は、後日、私の中で完全に美しく融合していきました。
このことは、将来私が画家として食べていくのが無理だと悟らされた事件でもありました。海にあこがれていたので、船長になって世界中に行ってみようかとか、やさしい看護婦さんに囲まれてお医者さんになるのもいいなと考えたりもしましたが、船酔いがはげしいのと、血を見ると卒倒するのでは、これも無理なことでした。美術部の先輩達が、建築という分野に進んでいるのを知って、絵と建築は一体どんなつながりがあるのか、よく分からないままに、一生の進路が決定されました。
おとぎ話はとても不思議です。主役の少年の進むべき道は、たいてい、こびとかヒゲのおじいさんが教えてくれると決まっています。それぞれの人生の曲がり角には必ず、だれかが路を示してくれるのです。多くのこびとやおじいさんに感謝しなければなりません。
WM;
ところで瀬戸本さん、サックスの演奏もされるのですね!演奏されている姿のお写真をFacebookで拝見し、素敵だなぁと思っていました。私もテナーサックスを吹いていたんです。ブランクが長いので、今吹けるかどうかは・・・。(笑)
瀬戸本さんは定期的にライブなどをされておられるのでしょうか。
瀬戸本さん;
テナーサックスは重いでしょう?すごいですね。
ぜひまた聴かせて下さい。
私は、お呼びがかかれば演奏させていただいている程度です。
共演して下さる方はいろんなプロですが、同じ曲でも雰囲気が変わるのがとても楽しいです。もっとうまくなりたいので、週に1回は自宅で練習しています。
先生についた事がないので、全くの自己流ですが、恥をかきながら演奏しています。大丈夫かと心配しながら熱心に聴いてくださるのがとても嬉しいです。
「人を悦ばす」は大事業です
WM;将来建築士・建築業界を目指している後輩たちに一言アドバイスをお願いします。
瀬戸本さん;
仕事とは、愛し合って、悦びあって、歌をうたって、感謝して、少しでも多く、人のため、人のためにと働くこと。
この職業のひとつが建築士です。
働けば働くほど夢中になっておもしろいです。「人を悦ばす」は大事業です。
ぜひ皆様の社会でのご活躍を祈念いたしております。
月刊神戸っ子に「神戸秘話」というコーナーで連載しています