兵庫県立神戸高等学校同窓会

インタビューのコーナー

みなさん、こんにちは!
大好評のインタビューコーナー第8回は、防衛省 防衛政策局国際政策課 杉原逸樹さん(53回生)です!
日本のみならず 世界各地で活動しています
同窓会広報担当者(以下「WM」);
お忙しいところインタビューをお引き受けくださり、本当にありがとうございます!!
ニュースで時折、画面の中に杉原さんを発見することがあります。同期の間ではそのたびに盛り上がっているようですね。

杉原さん;
防衛省に入省して今年でちょうど10年経ちます。
これまでは弾道ミサイル防衛や自衛隊の運用(部隊をどう動かすのか)に関する政策立案を担当してきました。
また、東京のオフィスでの仕事ばかりではなく、東日本大震災や熊本大地震、国連平和維持活動(PKO)等、国内外の‘現場’において外交官・政策補佐官・連絡調整官等様々な立場として部隊の活動を支援する仕事をしてきました。

さらに、1年間イギリスの大学院に留学し平和構築に関する理論を学んだ他、経済産業省に出向。
化学兵器禁止条約に関する国際会議に我が国の代表として出席し、プレゼンをする機会等もいただきました。

現在は国際政策課という部署で、世界各国の国防当局との防衛交流を実施しています。防衛省・自衛隊は、国連平和維持活動(PKO)やアデン湾における海賊対処、自衛隊が持つ人道支援・災害救援、地雷・不発弾処理、防衛医学等の能力を活かして他国の防衛当局を支援する能力構築支援事業等、世界中で活動しています。

WM;
「防衛交流」という言葉はあまりなじみがないですが、現在杉原さんが所属されている「国際政策課」ではどのような活動をされていらっしゃるのでしょうか。

杉原さん;
日々世界中の国防省や外務省の担当官と連絡を取り合い、我が国のみならず、アジア太平洋地域全体を護るためにはどのような連携が必要かについて検討し、その結果をもとに先に述べたような自衛隊の海外での活動に関する政策を立案しています。
最近の印象に残っている仕事としては、バーレーンで実施された中東の安全保障に関する会議に参加し、各国との今後の協力体制について議論出来たことや、フィリピンのドゥテルテ大統領が海上自衛隊の護衛艦「いずも」に乗艦された際に総理補佐官随行として現場対応に当たったことです。

皆様もニュース等で御存知かと思いますが、我が国を取り巻く安全保障環境については様々な課題があり、時差の関係からも土日、深夜関係なく働くことが多く、自分が様々な国の国防・外交関係者と共に立案した文章が我が国のみならず、関係国の国防政策の指針となり、地域の安全保障情勢に大きな影響を与えることの重みに押しつぶされそうになることもあります。
仕事柄海外出張も多く、注目される会議においては恥ずかしながらニュース映像に写ることもあります。出張なので観光の時間はありませんが、中東や中南米、アフリカ等の普通だといけないような国に行き、その国の国防当局との連携について検討するなど、貴重な経験をさせていただいていると感じています。また、災害現場で少しでも被災者の方のお役にたてたときや
我が国の災害対処能力を伝えることで他国の国防当局の能力構築に寄与し感謝されたときには大きなやりがいを感じます。
この他、防衛省・自衛隊では、日々の警戒監視・対領空侵犯措置、弾道ミサイル防衛等、24時間体制で様々な任務を遂行していますが、‘国防’はまさに国家百年の計であり、大変なことも多々ありますが、一生を賭けて少しでも貢献していけたらと考えています。

 
阪神大震災がひとつのきっかけになりました
WM;
高校時代、同期の皆さんからは「杉原くんは将来“探偵”にでもなりそうだね~」と言われていたようすね。(笑)
そんな杉原さんが探偵ではなく、防衛省で働きたいと思われたきっかけは何だったのでしょうか。

杉原さん;
小学生の時、阪神大震災で被災しました。
その時被災地を駆け回る自衛官や警察官、消防官の姿を見て、将来は人を助けるような仕事がしたいと思うようになりました。
また、推理小説やスパイ小説が昔から好きで、漠然と治安機関で働くことにあこがれを抱いていました。

さらに、阪神大震災の時、迅速な部隊派遣が遅れたというような話も聞きまして、こうした危機管理の‘制度’を作ることに興味を覚え、現場の自衛官になるのではなく、防衛省に入省したいと思うようになりました。

既に中学生くらいから漠然とそうした仕事がしたいと思うようになり、高校時代も水泳部の仲間にはしょっちゅう夢を語っていました。当時勉強も全然出来なかった私だったので、それは絵空事であり、周りの友人にとっても私が語る夢の話を聞くのは面倒だったと思うのですが、皆決して馬鹿にせず、真剣に聞いてくれました。あの時語った絵空事を実現するために、今も日々頑張っています。

探偵については・・・。
おそらく当時「シティーハンター」という漫画が大好きで、その漫画の影響を受けていたのだと思います。(笑)

 
高校の先生方からは 教師という仕事の誇り高さを感じました
WM; 
シティハンター!懐かしいですね~。
ところで杉原さんはどんな高校生でしたか。

杉原さん;
神戸高校は父の母校であることや、実家の近所にあることから、幼い頃から神戸高校に入ることを必然のように感じていました。
高校時代はとにかく部活が好きでした。
好きと言っても水泳そのものではなく、部活の仲間といる時間が好きでした。
水泳部の部室は少し離れたところにあったので、まさに自分の居場所だった気がします。家が近かったこともあり、母に熱々の弁当を部室に届けてもらったりもしていました。
今ではプールも改装されましたが、プールサイドを通ると本当に懐かしい気持ちになります。

当時好きな子はいましたが、全く声すらかけられず、教室の片隅からただ見とれていただけでしたね。
午後の教室、窓際に座る彼女の向こうに側に広がる神戸の景色ともあいまって、今でも神戸に帰り遠くの景色を見ると、当時のことが懐かしく思い出されます。
もう彼女の笑顔も大好きだった声も忘れてしまいましたが、すでに結婚されて幸せに暮らしているでしょうね。

神戸高校の先生方には本当に感謝しています。
受験勉強の際、何時間でも私の質問に付き合って下さり、教師という仕事の誇り高さを感じました。
ちなみに泳ぐのは全然だめでしたが、一応やり続けたので、現在体力だけは自慢なのですが、多分部活での経験が活きているんだと思います。
神戸高校OBとしての信念が私を支えています
WM;
杉原さんが高校ご卒業後、大学やお仕事の場で「神戸高校OBでよかった」と思われるようなことはありましたか。

杉原さん;
人脈等で、直接神戸高校卒業だということが役に立ったことは今のところありませんが、質素剛健・自重自治の校訓を胸に刻み、常に心がけています。

また、先ほども申し上げましたが、どうしても緊張感に押しつぶされそうになったり、その業務量に途方に暮れるときがありますが、
神戸高校OBとして恥ずかしくない仕事をしたい、そうした信念が私を支えていると感じています。
何を目指すにしても、その職業に就いた自分の姿をイメージすることが重要です
WM;
杉原さんが働かれている防衛省はじめ、省庁に入るには難関の試験を突破しないといけませんよね。
どのように勉強をされて合格されたのか、後輩たちのためにアドバイスをいただけますか。

杉原さん;
なにを目指すにしても、その職業に就いた自分の姿をイメージすることが重要だと思います。あとはがむしゃらに勉強するしかないと思います。

また、個人的な意見ですが、皆様には是非英語を勉強していただきたいと思います。私は入省以来仕事で15ヶ国以上の国に短期・長期問わず訪れています。
どこの省庁に入っても、大使館や国際機関で勤務するチャンスが与えられるものであり、是非英語を使いこなせる人材になって欲しいと思います。私はといえば、仕事以外での海外経験がなく、初めての海外が国連平和維持活動への参加であり、英語力も低く、大変苦労しました。それでも何とかなるものですが、外国に興味を持つことで、語学、地理、世界史等興味分野はどんどん広がります。
私も国際都市神戸の出身者として、語学力をさらに磨いていきたいと考えています。
神戸の空が、明日も変わらず平和でありますように!
WM;
最後になりましたが、このHPをご覧のみなさまに、ひとこといただけますか。

杉原さん;
高校時代は私の原点であり、人生で最も楽しい時間でした。
今も神戸に帰った際に校舎を訪ねると、楽しかった日々を思い出します。
これは現在でも継続しており、神戸高校の友人と会っている時が一番楽しく、卒業しても変わらない関係の親友がいることは、私の人生にとって大きな財産であると感じています。

在校生の皆様には、是非、今が人生で最も輝いている時であり、何にでもなれる、どんなことでも出来る、ということを自覚し、頑張って欲しいと思います。私も常に神戸高校OBであることを誇りに、神高魂を忘れずこの先も頑張っていきたいと思います。

あの日プールサイドから見た神戸の空が、明日も変わらず平和であるように、これからも頑張ります。

WM;
ありがとうございました。今後ますますのご活躍をお祈りしています!
《杉原逸樹氏 プロフィール》 
3年前は激やせしていました

昭和57年6月3日 神戸市灘区生まれ。
神戸高校、京都大学を経て平成20年防衛省入省。
運用企画局国際協力課、経済産業省化学兵器・麻薬原料等規制対策室、
英国バーミンガム大学国際関係学部修士課程への留学、防衛政策局訓練課等を経て
現在防衛政策局国際政策課にて、各国との防衛交流や能力構築支援を担当。