兵庫県立神戸高等学校同窓会

インタビューのコーナー

みなさん、こんにちは!
大好評のインタビューコーナー第12回は、プロ野球阪神タイガースオーナー、阪神電気鉄道株式会社相談役取締役、阪急阪神ホールディングス株式会社元代表取締役 坂井信也さん(18回生)です!
阪神入社当時は神戸一中(神戸高校の前身)の”黄金期”でした
高校の同級生 小津正弘さんと(左が坂井さん)
-このたびはお忙しい中、インタビューをお引き受け下さり本当にありがとうございます!

私でお役に立てるのか、どのようなお話をさせていただけばよいのかわかりませんが。

阪神大震災の時に3年だけ大阪に移ったのを除けば70年近くずっと神戸市在住です。「定点観測」とよく言っているのです。
“神戸”高校から“神戸”大学に進学し、今は“阪神”というハイブリッドの会社にいます。(笑)

私のようなプロスポーツクラブのオーナーという立場の人は卒業生でもなかなかいないですよね。電鉄会社の社長でしたら卒業生にも何人かおられたでしょうが。

-定点観測!神戸愛を感じます。(笑)
 坂井さんが阪神に入社された経緯を教えていただけますか。


大学4年生の時に学園紛争がありました。ごちゃごちゃしていた中、某企業に就職が決まっていましたが、「もう1年大学におろうかな~どうしようかな~」と思っていた時に、大学の学生食堂で高校の同級生だった小津正弘君に会ったのです。彼はのちに阪神タイガースの球団社長になった小津正次郎さんの息子です。小津正次郎さんと言えば「オヅの魔法使い」、「オヅワルド」などといった異名があった人ですね。当時正次郎さんは阪神電気鉄道の人事部長をされておられました。

学生食堂で就職の話をしているときに、小津君が「父の会社、あと1名なら採用すると言っている」と教えてくれたので、当時梅田にあった阪神電気鉄道にお父様を訪ねました。到着すると3階に上がれるように言われ、3階に上がるとそこは役員室。部屋には重役もいらしてびっくり。お話ししているうちに、「うちの会社に来るんやったら来てもいいよ」と言われました。ずっと阪急沿線の学校に通っていたわけですから阪神電車にはなじみがなかったですし、プロ野球も当時はタイガースファンではなかったのですが、入社することになって今に至ります。

―神戸高校の同級生の方が入社のきっかけになったのですね。

入社してみたら、人事部の上司も神戸高校卒業生。当時は重役(のちに会長・球団オーナー)だった久万俊二郎さんをはじめとして、神戸高校の前身である神戸一中、神戸高校の卒業生がたくさんいらっしゃいました。当時は伊藤忠、丸紅、住友銀行、ダイキンなど大企業のトップが神戸一中出身であるなど、神戸一中出身者の“黄金期”でした。先輩方には「神戸一中と神戸高校は違う!」とよく言われたものです。どういう風に違うという意味だったかわかりませんが。(笑)

その頃阪神不動産という子会社の社長をしていた方も神戸一中出身者で、その方が中心となって近畿の神戸一中出身者ばかりが集う「一中会」が、ホテル阪神の2階で開かれていました。講師が来て講演をしたり、今の同窓会シニアクラブのような内容のことをしていたようです。私も神戸高校卒業生ということで、人数合わせのために出て来いと言われ、何度か「一中会」に出席したことがあります。一中会と言っても県一の先輩も来られていたのでしょうか、楽しみにして行ってみたら会場はおじいちゃん、おばあちゃんばかりで...「どないしようかなぁ」と。(笑)
 
阪急と阪神は親和性が高いと感じています
―坂井さんは阪急・阪神の経営統合という大きな動きの中で阪急阪神ホールディングスの代表取締役を務められましたね。

平成18年に阪急と阪神が統合して阪急阪神ホールディングスになりました。皆さんに、「ライバル会社がいっしょになって大変でしょう」と言われましたけれども、実はそうでもありません。
会社の風土はもちろん違いますし、事業内容もライバルと言えばライバルではありますが、よく考えたら神戸高校はもちろん、灘高校、長田高校、兵庫高校、甲陽高校などをはじめ、京阪神の大学など地元の学校に行っていた地元出身の人が多いんですよね。親和性は非常に高いと感じています。

―さきほど「一中会」のお話がでましたけれど、現在、御社では「神高会」なるものはありますか。

インフォーマルですけれど「阪急阪神・神戸高校の会」というものがあります。年に1回、11月頃に系列ホテルで開催しています。東京からも参加者がいます。入社してからは、出身大学の話になることはあっても、出身高校がどこか詳らかに話す機会はなかなかありませんし、誰が神戸高校出身者かなんてわからないですよね。グループ内に神戸高校出身者がいるのか、いろいろなところにアンテナを張って丹念にリサーチしています。

 
高校入学当初は突き放されたような気分になったものです
―坂井さんの高校時代のお話をお聞かせいただけますか。

私は神戸高校がある灘区の隣、中央区の西のはずれにある生田中学校出身です。当時生田中学には学年で1000人近くの生徒がいて学校がパンク状態。テニスも校舎屋上で、とか、サッカーもやるところがない、とかそのような状態でした。それで私も部活に入りそびれました。
高校に入ったら学力水準が高そうだったので「クラブ活動しながら周りについていけるかな」という懸念がありました。また,
本当は野球部に入りたい気持ちがあったのですが、当時はサッカー一辺倒の時代でした。校庭中でサッカーばかりやっていたといっても過言ではなく「サッカー部でないと人に非ず」みたいな空気が漂っていましたから、結局私は高校でも部活動には入りませんでした。
帰宅部だからといって先生に何か言われるということもありませんでした。きっと生徒が多すぎて、学校側も部活動の場所を確保するのに困っていたのでしょう。

これは私の個人的な見解ですが、中央区民、特に西側の区民は、灘区や東灘区に対してすこし構えてしまっているところがあると思うんですよ。(笑)灘区、東灘区はちょっとハイソな地域というイメージがあるというか・・。中央区にある中学校で気楽に過ごしていた中学生が灘区にある高校に入学したので、最初は突き放されたような感じを受けました。
周りはみんな頭が良いし、「サリマライズを歌いましょう」なんて言って上品に見えるし、「『福翁自伝』と『自由と規律』を読んできなさい」と言われるでしょう?今までハックルベリー・フィンを読んで読書感想文を書いていたような中学生だったのに、高校入学と同時にいきなり『自由と規律』を読みなさい、ですから面喰いましたね。(笑)3ページ読んだら眠くなるような本ですからね。

勉強も先生から急き立てられるわけではなく、「勝手に勉強しておけ」という雰囲気でした。通知簿こそ渡されていましたが、順位がわかるような成績表は「取りに来い」というようなかんじで、取りに行かなければ自分の順位などはずっとわかりませんでした。

高校1年生は様子見。2年生で「なんだ、みんなもわかってないなぁ」ということがわかってきて(笑)、3年生でようやくリラックスできた、そんな高校生活だったように思います。

―お得意な教科、苦手な科目はありましたか。

文系でしたから化学と物理が好きではありませんでした。
2年生の中間考査でしたかね、物理のテストで人生初めての0点をとった記憶があります。大問が3つくらいありましたがどれも全然わからなかった。(笑)でも蓋を開けてみたら、クラスの2/3が0点だった。(笑)どんな問題の作り方をしているんだ、と言いたくなりますよね。同級生にこの話をすると「そんなことあったかな?」と言われますが。文系の志望の多いクラスの物理授業ですから受験に直結するという生徒も少なかったわけで、生徒も力が入っていないところもあったのでしょう。ちなみにこの時の物理の先生のご子息が、今阪急阪神不動産にいるんですよ。ご縁がありますよね。

同じく2年生の時に倫理社会という授業がありました。この授業では2人1組になって割り当てられた哲学者を研究して発表しなくてはなりませんでした。大人びていて哲学が好きな子は喜んでいたのでしょうが、私に割り当てられたのは“デイヴィッド・ヒューム”。ソクラテスやカントならなんとなくわかりますけれど、ヒュームって?!そもそも誰だかわからない。(笑)発表の持ち時間は1時間でしたから、それだけの研究をしなければならない。必死に解説書を読んでみるけれど結局最後までヒュームのことはよくわかりませんでした。倫理社会の先生は寡黙で怖いし、あの授業は本当に苦痛でした。

 ―高校の授業で研究して発表というスタイルは今でこそよく聞きますが、当時にしては先進的だったのではないでしょうか。

そうですね。今考えたらあのスタイルは良かったですよね。
とにかくユニークで先生が多かったと思います。
3年生の時の担任は政治経済の先生でしたが、穏やかでいろいろ話を聞いてくださいました。進路指導で「どこの大学に行きたいの」「そうか~、坂井君の行きたいところに行ったらいいよ」と。今考えたら無責任な進路指導だなと思いますけれども。(笑)
やはり文系・理系と分かれてからはそれぞれで親密になるのでしょう。私自身、高校の同級生の中でも、3年生の時のクラス仲間とは特に仲が良いです。

高校時代の思い出としては、甲子園球場で高校野球の予選も記憶に残っています。今はもうそういうことはなくなったようですが、当時は「当たり」と言って、兵庫県大会の予選が甲子園球場で行われることがありました。試験終わりにみんなで応援しに行きました。東洋大姫路との試合で、神戸高校はボロボロに負けましたけれどね。

―高校野球と言えば!今年、高校野球第100回大会の開会式で、神戸高校野球部主将が横断幕を掲げて入場行進に参加しますね。合唱部も開会式で歌います。第1回大会から毎年地方大会に出場し続けてきた皆勤校(全国で15校)のうちひとつが神戸高校です。

素晴らしいですね。
神戸一中は第4回大会で優勝しています。13校しか出場していなかったのですが。以前甲子園歴史館で当時のスコアブックを見てみたら、なぜかエラーだらけでした。(笑)でも優勝したことは事実です。100回大会を迎える今年、甲子園歴史館で高校野球の歴史もぜひ見てみてほしいですね。面白いですよ。
神戸高校同窓生とは、ご縁がないようで実はご縁があります
高校の同級生 小津正弘さんと(左が坂井さん)
―ご自身のビジネスにおいて、神戸高校OBでよかった!と思われるようなことはありますか。

神戸高校同級生や同窓生には縁がないようで実は縁があります。高校入学当初はそれほど高校に対する想いが強かったわけではなかったですけれど、人脈という点では卒業後、今に至るまで、本当に助けてもらってきました。

阪急も阪神も、それほど営業活動、セールス活動を厳しくやる会社ではありませんので、ビジネスの上で神戸高校の名前を前面に出すことはありません。けれども精神的にと言いますか、例えば「阪神と言ったらあの坂井の会社だな」ということで看板を出してくださったり、どなたかをご紹介くださったり、神戸高校のつながりやその信頼に助けられているなと思うことはよくあります。私自身の人柄はそんなに良くないのに「神戸高校出身」ということでコーティングされているのでしょう。(笑)

私が阪神タイガースのオーナーになって10年ですが、シーズン開幕前に周りの方が「坂井オーナーを励ます会」というのを開いてくださっていました。毎回100人ほどお越しいただきましたが、男女問わず神戸高校関係者がたくさん来てくださいました。そういうところでも高校の皆さんに助けられているなと感じますね。

そういえば某スポーツ新聞の記者が「私の息子が神戸高校に入りました。坂井さんの後輩になりました!」と。(笑)最近はお子さんが神戸高校卒業生です、と教えてくださる方も多いです。
甲子園でやる1軍の試合はほぼ観戦します
―球団オーナーとしての坂井さんが、普段どういうことをされておられるのか教えていただけますか。

もともとスポーツ観戦は好きだったですけれど、今は野球観戦が仕事のようなものになっています。

甲子園でやる1軍の試合はほぼ観戦します。以前はオーナーでありながら会社の仕事や会議が優先でしたけれども、今は球団オーナー専任になりましたからね。ビジターの時は基本的には試合観戦はしませんが、たとえば中日球場での試合なら日帰りで行けるので観に行くことがあります。オーナーになって10年の間に、他チームのホーム球場の試合を1回ずつくらいは観戦しています。

ラグビーやサッカーなどほかのスポーツとのつながりはあります。各界の著名人とも親しくさせてもらっています。
私生活では、以前はゴルフなどもしていましたが最近はウォーキングぐらいです。
神戸の役に立ちたいという思いはずっとあります
―ご自身が育った神戸という街。経済人としてのお立場から、今後どのようになってほしいと思われますか。

やはり経済、特に観光に力を入れていかないといけないと思っています。
神戸の役に立ちたいという思いはずっとありますけれども、今は経済活動をしようとしても足がかりがない感じですね。
神戸商工会議所もどちらかというと川重さん、神鋼さん、アシックスさん、シスメックスさんが中心で活動されています。観光という点でいえば、山陽電鉄さんとか神姫バスさんとかが中心ですものね。

―現在、神戸高校同窓会も、若い世代の卒業生にもっと同窓会活動について知ってほしいと考えており、そのためにいろいろな取り組みに挑戦しています。このホームページの運営もひとつです。

私は高校卒業後、神戸大学経済学部に進学しました。大学時代はハンドボール部に入っていました。大学の同級生とも今でも交流はありますよ。けれども大学というところは、いろいろな県の出身者が集まっている場所ですし、学生時代も毎日顔を合わせていたわけではないですからね。高校の同級生のほうが親近感があります。高校の同級生との集まりは親睦会という感じで気楽に集えます。

仕事を始めて家庭を持って一生懸命やっているときは、母校の同窓会活動には目が向きにくいのではないでしょうか。それはある意味仕方がないかもしれませんね。私もそうでした。60歳過ぎたころくらいから高校を懐かしむ余裕ができた頃に、同期を呼び出したり呼び出されたりということが増えてきて、同窓会に目が向くのではないでしょうか。

卒業生には精力的に活動されている方がたくさんいらっしゃいますけれど、こまめに声をかけておかないとなかなか同窓会に目を向けてくれないと思います。神戸高校卒業生がどこで活躍しているとか常にアンテナを張って、声をかけていくことも必要だと思います。

―坂井さんの気さくなお人柄に触れ、また、お話がとても面白くて、時間が経つのも忘れ聞き入ってしまいました!
神戸高校で出会われた同級生の皆様との強い絆を大切にされておられることが、お話の端々からもよくわかりました。
この度はお忙しい中ありがとうございました。
これからの益々のご活躍をお祈りしております!!

 
《坂井信也氏 プロフィール》
虎の置物は星野仙一さんからの贈り物

神戸市立生田中学校→兵庫県立神戸高等学校→神戸大学卒業。
1970年 阪神電気鉄道株式会社に入社。
2006年 阪神電気鉄道株式会社社長に就任し、10月の阪急阪神ホールディングス株式会社発足後、代表取締役に就任。
2008年 阪神タイガースオーナーに就任。
2011年 阪神電気鉄道株式会社会長に就任。
2017年 阪急阪神ホールディングス株式会社代表取締役、阪神電気鉄道株式会社会長を退任し取締役相談役に。
  現在も阪神タイガースオーナー。