兵庫県立神戸高等学校同窓会

インタビューのコーナー

みなさん、こんにちは!
大好評のインタビューコーナー第17回は、株式会社ウェザーマップ 代表取締役社長、気象予報士 森 朗さん(30回生)です!
東京出身の父が、「兵庫県と言えば神戸一中=神戸高校だろう」と
森さんはここで毎日「ひるおび」のお仕事をされています
-この度はお忙しいところお時間をとっていただいてありがとうございます!
本日も先ほどまで「ひるおび」O.A.でお仕事をされていましたよね。お疲れではありませんか。


大丈夫ですよ。なんでもお答えしますので、遠慮なく質問してくださいね。(笑)

私には2歳上の兄がおりまして、この兄がとても優秀だったんです。
兄が神戸高校に進学したいと言い出したこと、それから父が兄に「神戸高校は名門だから、ぜひ受験してみなさい」と言ったことが、私と神戸高校の縁の始まりだったと言えるかもしれません。兄は合格し28回生として神戸高校に入学しました。私もそれを追うように30回生として入学しました。つまり、神戸高校に惚れ込んで志望したというよりは、家庭内の成り行きで「兄貴がいるから僕も受けてみようかな」と受験したんです。
そして私の年は「450名定員で450名の応募」でしたから、全員合格。(笑)ラッキーでしたね。

-お父様も神戸高校を推していらっしゃったんですね。

父は東京出身だったのですが、神戸一中のことはよく知っていて、「兵庫県なら神戸一中、つまり神戸高校だろう」と。(笑)
東京にも旧制一中があったわけですが、神戸一中の制服はカーキ色でどこに行ってもよく目立っていたんだそうです。
東京を歩いていても「あれは神戸一中だ」って一目でわかる、そんな存在だったみたいですよ。


 
高校の窓際の席。自然に眠りの世界に誘われました
-高校に入られてからのことをお聞かせいただけますか。

中学校ではバスケ部に入っていましたので、高校でも迷いなくバスケ部に入部しました。
我々の時代のバスケ部は、年によってはとても強かったんです。
私の3期上、つまり27回生のバスケ部は、インターハイに出場しました。
28回生のバスケ部はベスト8、
29回生のバスケ部はベスト4でしたかね。
そして私たち30回生のバスケ部は弱くて、私たちの下の代がまた強い・・・みたいな感じだったような記憶があります。

-文武両道の神戸高校。森さんも、勉学とバスケ部での活動を両立されていたのですね。

いいえ、部活ばかりやって、勉強はあまりしていませんでした。

高校に入学してから半年ほどは、成績は真ん中より少し上くらいでした。450人中120位とか、そのあたりでした。
半年過ぎた頃くらいから坂を転げ落ちるようにあっという間に300位あたりまで成績が落ちました。
そこから取り戻せずに卒業までずっと・・・(笑)。

特に理系科目が苦手でしたね。
物理は100点満点の試験で4点を獲ったことがあります。4点って、狙ってもなかなか獲れない点数ですよね。(笑)

今の私の仕事は天気予報、つまり地球物理、物理の分野なので・・。
物理のテストで4点だったような奴が気象予報士をしているのは、ちょっと問題かもしれませんね。(笑)


-思い出に残っている授業などはありますか。

特にはないですね・・。
授業中、私はよく寝ていたので・・。

席替えの時に個別交渉して、窓側の一番後ろの席に代わってもらっていたんです。

そうすると、空が近くて坂が見えて、体育館が見えて、神戸・大阪湾が見えて、天気が良ければ紀伊半島まで見えて、汽笛の音が聞こえるわけですから・・。それはもう、眠りの世界に誘われますよね。(笑)
気持ちよく寝ていたら先生に黒い出席簿で「起きろ!」と頭を叩かれる・・ということがよくありました。

教室から見えるあの情景は今も鮮明に覚えています。本当に景色の良い学校ですよね。


その調子で3年生になって、「このままではまずいぞ」と思い始めました。
ほかの科目は1年生から始まっていたので、今更挽回できないと思って、日本史に絞ることにしました。
ほかのみんなと違い、私は日本史だけに集中していたので、当然ながら日本史の成績だけは良かったですね。
大学受験も日本史で受けました。



趣味。不景気。そして資格の新規創設・・・すべてがベストなタイミングで重なった
-大学は慶應義塾大学の法学部に入られましたね。

ギリギリ入学できました。
入学後はバンドサークルでバンド活動を頑張っていました。このサークルは竹内まりやさんも入っておられたところです。
バンドを頑張っていたので大学の成績は悪く、就職先も見つからないかもと思ったのですが、幸運にも某企業に入社させていただけて、入社後は経理・営業等いわゆるサラリーマンとしての仕事にいそしんでいました。

バンド活動は大学卒業と同時にしなくなって、サラリーマンになってからはウィンドサーフィンをやり始めました。

平日に働いて週末に海に行くためには、海のコンディションを調べなければなりません。
せっかくいいコンディションなのに、その日にお墓参り・・とか、なんだかもったいない気がするし、
せっかく有休をとったのに海に行ってみたら海のコンディションが悪くてウィンドサーフィンできない、というのももったいない。
海のスポーツはお天気次第なところがありますので、「天気に詳しくなりたいな」と常々思っていました。

その頃、ちょうど気象庁以外の者でも取得できる「気象予報士」という資格ができました。

さらに、当時は景気が悪くて円高でしたし、「このまま会社にいてもいいのかな」「何か手に職(資格)をとっておいたほうがいいかもな」と思い始めた時期だったことも相まって、気象予報士の資格を受験しようと決心しました。
 

-趣味。不景気。そして資格の新規創設。
 すべてが良いタイミングで重なったから、今の「気象予報士の森さん」がいらっしゃるのですね。
 資格試験取得に際しては専門のスクールに通われたのでしょうか。


当時は資格ができたばかりでしたから、今のようにスクールはありませんでした。
ただ1か所だけ、気象庁の外郭団体で講習会をやっているところがあったので、サラリーマンをしながらそこに参加して勉強しました。過去問もろくにない状態でしたけれど、高校時代の日本史以上に(笑)必死に勉強しました。

でもこの時の勉強が本当に面白かったのです。
ずっと文系で来たわけじゃないですか。高校も物理4点。大学も私立文系。
でもお天気に関する理系分野の勉強はすんなり頭に入ってきたのです。はじめて数式等の勉強が楽しい!面白い!と思えました。

本来は1年から1年半かけて合格するプランでしたが、好きこそものの上手なれと言いますか、勉強が楽しかったので、半年ほどの勉強で合格できました。

気象予報士の資格試験の初回は1994年8月。この時あの有名な森田正光さんが試験不合格だったと聞いた時に、「あぁ、森田さんでも落ちるっていうことは、不合格でも恥ずかしくない難しい試験なんだ」と自信がつきました。
私は第2回試験の時に初挑戦し、その時は不合格でしたが、2回目のチャレンジとなった第3回試験で合格できました。

合格してよかったのですが・・。
とにかく楽しく試験勉強していましたから、合格してからは逆に、目標がなくなってつまらなくなってしまいましたね。
人の「本音」を扱う業界なので気楽です
台風10号についてTBS「ひるおび」で説明をする森さん(2019.8.13)
-合格を機に転職されたのですね。

気象予報士試験合格後、森田正光さんのウェザーマップという会社から気象予報士の募集が出ました。
試しに行ってみようかなと思って面接を受けました。

実はお天気の世界はウェザーニューズと日本気象予報協会という2大会社がマーケットをほぼほぼ占めています。

私が当時サラリーマンとして勤めていた会社も安定した会社でしたし、
転職するならウェザーニューズか日本気象予報協会のどちらかかな・・、とは考えていました。
でも未経験の人間がいきなり業界ツートップの会社に採用されるわけもないだろうし、ウェザーマップで業界研究をしてからの方がいいかなと、ウェザーマップの入社試験を受けることにしました。

その時に森田正光さんご自身とお話する機会がありまして。
ちょうど東京ローカルのMXというテレビ局が開局する年だったのですが、森田さんから「新しいテレビ局が開局されるのだけれど、そこでお天気キャスターを募集しているから、受けてみないか」と言われました。

未経験なのに大丈夫なのかなとは思いましたが、面白そうだから遊び半分・落ちても仕方ないという軽い気持ちで受験することにしました。

オーディションはカメラテストで、「天気予報を2分間やってみる」というものでした。
でも私は1分40秒くらいで終わってしまって。
局側の皆さんが黙っているから、「終わりましたけど・・?」と言ったのですが、それでも皆さん黙っている。
2分ちょうど経ってから初めて、「はい、終了。・・時間が残っちゃいましたね~」と一言。(笑)
そんな感じだったのに、なんと合格したのです。

私はまだ会社も辞めていなかったので、合格したものの「どうしよう・・?」ですよね。(笑)
MXのオーディションは9月半。11月には放送開始というではないですか!
テレビ局側はもちろん「やる気のある人しかオーディションを受けていない」=「合格したらすぐに仕事を引き受けるもの」と思っていますよね、でも私は会社のことがあったので「ちょ、ちょっと待ってください!まだ会社に言ってないのです・・・!」と。(笑)

その時になって初めて、気象予報士の資格をとったこと、MXのオーディションに合格したことを、会社の課長に報告し今後のことを相談しました。その後課長と2人で部長に話をしに行きました。
部長は2分ほど腕組みしたまま黙り込んでいましたが、ようやく口を開いたと思ったら
「・・・そうか。まぁ、このご時世だから後任はいらないな。今のメンバーでいけるだろう。じゃあ森君、あとは頑張ってね」でした。
引き留められると思っていたのに、引き留められるどころか後任はいらないなと言われて
「え?俺、ひょっとして余ってたの?!」って。(笑)

-部長なりの後押し、やさしさだったのかもしれませんよ~!

さあ・・どうでしょうかね。(笑)

あっさり退職できてしまったもののテレビの仕事はよくわからない。右も左もわからず慌てふためいているうちにMXの仕事が始まってしまいました。まさに「習うより慣れよ」でしたね。

-テレビのお仕事となると、生活も激変したのでは。

そうですね。
今までとは全然違う世界に足を踏み入れたわけですから。

いつの間にか夜も仕事をしているし、いつの間にか週末の休みはなくなっているし、台風が来れば急に呼び出されるし、取材やらロケやらで外に出て行って人にお話を聞いたりしているし。(笑)

慣れるのに3か月くらいかかりましたかね。

 

テレビ業界はちょっとほかの業界とは違う面はあります。
役所や会社でのお仕事ですと、建前も大切にしないといけない場面も多いと思うのですが、この業界は人の本音を扱うところといいますか、建前で仕事をしなくてはならないということはありません。そういう面では気楽ですね。服装もラフですし。

ただ、不特定多数の人に対する情報発信ですから、誰が見ているかわからない、誰がどう感じるかわからない。自身の言動には常に気を遣っています。

「予報士が言っていたことと(現実の天気が)違っていたじゃないか」というようなクレームが来ることもあります。
今は特にネットが発達していますからね。
きっとボロカスに言われていると思うので、私は絶対エゴサーチ(※自分の名前をネット上で検索し、自分に関する評判や評価を確認する行為)はしません。

私たちのようにテレビで情報を伝える仕事は、「自分が言ったこと・やったことが世間にどう思われるかということに左右される仕事」でありながら、「それを気にしないでやらないといけない」ので、そういう面でも難しいですよね。

神戸高校で「素養」を身につけられた気がします
-ご自身が神戸高校卒業生でよかったなと感じられることはありますか。

気象予報士としてテレビで仕事をする場合は特に、「素養」がとても大切だと思います。
育ってきた環境、成長過程で自然と身についた知性・品性・教養。そういうものをひっくるめたものです。

神戸高校に入って優秀な仲間に出会い、その生活の中で自然に「素養」を身につけられていたのかなとは思います。
神戸高校生って、なんといいますか、「品が良い」でしょう?(笑)
品が良いけれど気取っていないっていう、そういう校風ですよね。

あとは、神戸高校というよりは関西に住んでいてよかったと思うこともあります。
関西人のトーク力、たとえば話にオチがあるとか、そういう点は今の仕事で活かされている気がします。

そういえば、マスコミ業界にも神戸高校OBOGがいっぱいいます。
「神戸高校メディアの会」という名で、まぁこれは勝手につけている名前ですけれど、マスコミ業界の神戸高校OBOGで集まって飲んだりね。とはいえ、集まったのは1度だけですけれど。(笑)

今年桜の開花のロケに行ったときに、日テレの平松アナウンサーが声をかけてくださって。「僕も神戸高校なんです」って。一気に距離が縮まりますよね。

-同期の皆さんとは今も交流はありますか。

私の場合はバスケ部の時のメンバー中心で交流が続いています。
というよりもむしろ、いまだに一番仲が良いのは高校のバスケ部の仲間ですね。来週もまた会うんですよ。

そういえば、昨年11月3日、30回生の40周年同期会が開催されました。
卒業してだいぶ経つのに200人以上集まって、先生方も6名くらいでしたかね、ご参加くださって、「すごいなぁ」と思いましたよ。

1年生の時に担任をしてくださった萩原先生もその同期会にいらしてくださったんですが、挨拶が面白くてね。剣道部の顧問をされておられた先生なのですが、現在は杖をついて歩いておられて。「私はいまだに棒がないとダメです」みたいなことを仰っておられました。(笑)

この同期会では「テレビで見て知っていたけれど、あんた、神戸高校におった?」みたいなことをちらほら言われました。
私は、地味で目立たない高校生だったのでしょうね。
趣味を通して同窓生でつながっていけたらいいですね
-オフの時はどのように過ごされているのでしょうか。

ウィンドサーフィンはもう歳なのでやっていません。ちょっとシュノーケリングをすることがあるくらいで、海のスポーツは最近はやらないですね。

今はブラジル音楽をやっています。
あとはカーリングもやっていますよ。
沖縄も大好きで毎年行っていて、三線を習っています。

-多趣味ですね!!

神戸高校の同窓会ももう大きな大きな団体になって、幅広い世代の人、本当にたくさんの人がいるじゃないですか。
全員が同じ価値観を持っているわけではないので、同窓会に目を向けてもらうのは難しいと思います。
でもそれぞれの趣味を通して、同窓会の中でつながりを見つけていくと気楽にお付き合いできるからいいかもしれませんね。
たとえば私の場合は、「カーリングを趣味でやっています。今度一緒にいかがですか」という神戸高校OBOGがいらっしゃったら、「おっ!じゃあ一度、一緒にやる?」みたいになりますよね。


-そうですね!趣味を通して卒業生の輪を広げられたら楽しいと思います。
 同窓会としても、なにか企画してみましょうかね(笑)
 さて、森さん。
 今年10月19日(土)に神戸高校同窓会東京支部の総会にゲストとしてお越しいただき、講演していただけるとか!


『天気予報のウソ、ホント。なぜ異常気象が増えたのか?』というタイトルでお話しさせていただきます。
多くの在京同窓生の皆さまにお会いできるのを楽しみにしています。

-森さん、お忙しいところ長時間ありがとうございました。これからの益々のご活躍をお祈りしています!
 全国の卒業生の皆さま、10月19日の東京支部総会にぜひお越しください!
 森さんの貴重なお話を生でお聞きいただけるチャンスです!
≪森 朗氏プロフィール≫

1959年 東京都生まれ。

西宮市大社中学校
神戸高校
慶應義塾大学 法学部政治学科 卒業。

大学卒業後は日鉄建材工業(現日鉄住金建材)に入社し、経理・総務・営業職に従事。
趣味のウィンドサーフィンや海好きが高じて1995年に気象予報士資格を取得し、ウェザーマップに入社。
TOKYOMX気象キャスターを経て、TBS「ひるおび!」など、テレビ・ラジオ番組に多数出演。
全国で講演活動も行っている。

2017年7月より株式会社ウェザーマップ代表取締役社長。

著書に「異常気象はなぜ増えたのか-ゼロからわかる天気のしくみ」(祥伝社)など。