高校時代は芸人になるとは思っていませんでした
-このたびはお忙しい中、インタビューをお引き受けいただきありがとうございます。
コロナで全世界が混乱していますが、そんなときだからこそ、高橋さんのご活躍を同窓生にお届けできることが嬉しいです! バックナンバー拝見しました。
そうそうたるメンバーのOBOGの皆さまのインタビューに驚くと同時に、「私がインタビューお引き受けしていいのかな」と(笑)。
-以前に高橋さんの同期のWEAVERメンバーにもインタビューさせていただきました。ええ、同じ59回生です。
大活躍されていますね。一度東京のとあるパーティでお会いしたことがあります。
私たちの番組のテーマソング歌を歌ってくださっているということもわかって、嬉しかったですね。
取材先で「WEAVERさんとお仕事しました」という方にお会いしたりしたこともあります。
-高校生のころから、「お笑い芸人になりたい」と思われてきたのでしょうか。幼稚園のときはとても恥ずかしがりで、罰ゲームで歌いなさいと言われて泣くぐらいの子でした。
子役モデルをやっていて、写真を撮られることには慣れていましたけれど、話をするのは本当に苦手でした。
あるとき、つかこうへいさんの劇団の子役オーディションを受けることになったのですが、
そのときも「いやや~」と言って廊下で泣いていたんです。
そしたら劇団の女性の方が出てきて「さっきつかさんがあなたのことを“あの子、いいね”と言っていた。もうちょっと頑張ってみて!」と声をかけてくださって。
それで奮起して頑張った結果最終選考まで残ることが出来たので、自信がついたんでしょうね。
目立ちたがり屋さんに変わりました。
でも、お笑い芸人になりたいという夢をもったのはだいぶ後になってからです。
小学生の頃は「女優になりたい」と思っていましたから。
目立ちたがりの活発な自分に変わってからも、引っ越しを繰り返したので暗くなった時期は何回かありますが、
神戸高校に入ってから演劇部に所属したので、それが最終的に芸人を志す大きなきっかけになったのかもしれないと思います。
演劇部ではコントもやっていました。その参考にいろいろなお笑いのDVDを観ていたので、いつのまにかお笑いの虜になったとでも言いましょうか。
-演劇部で「コント」もされていたのですね。コントはお芝居よりも観客の反応がわかりやすいからですね。
いつの間にかお笑いにハマってしまって、大学も一芸入試というのでしょうか、それで「人間表現学科」に進みました。
もうその学科はなくなってしまったようなのですが。国際文化学部と一緒になったと聞きました。
神戸高校に行っていなかったら、今の自分はいなかったかも
-ではここで、そろそろ皆さんにお尋ねしている質問を・・(笑)。
どのような高校生活を送られていましたか。
あぁ~!きましたね!!(笑)
同窓会のHPのインタビューなので、おそらくそういう内容のことを聞かれるだろうなと覚悟していました。
だから、「私でいいんだろうか」と思っていたんですが(笑)。
神戸高校は良い高校ですよね。
みんな向上心がありますし、文武両道の高校だから、部活も勉強も頑張ろう!という校風ですものね。
今となっては、そう思えます(笑)。
でも私は、高校在学中、めちゃくちゃ「落ちこぼれ」だったんです。
320人くらいがいる中で300位あたりをうろちょろしていました。
だから本当にしんどかったですね。
中学校では学年トップクラスでした。
単純に「学区内で一番の神戸高校に行こう」「大学受験の時に選択肢が広がるかな」と漠然と思って神戸高校に入ったのですが、
高校に行ったとたんに急に落ちこぼれて・・。
部活に打ち込んでいたこともあって、高校2年生になったころには授業の内容についていけていないかんじでしたね。
-わかります(笑)。
ウトウト・・としていてハッと気が付いたら、授業の内容が全然わからなくなっていること、私もありました(笑)。
そうですよね。
でも、そういう雰囲気の高校だったからこそ今の自分があると、今なら思えます。
楽な学校だったら、私もとことん楽をして、好きなことだけをやっていた高校生活になっていたかもしれないなと。
周りが国立大学を志望するから自分も国立大学に行きたい!と思ったのも、
神戸大学に合格できたのも、
神戸高校にいたからだと思っています。
人がコントを観て「面白い!」と思うための要素を研究しました
-大学に入ってから、芸人を志されたのでしょうか。
大学2回生の頃に、松竹芸能タレントスクールに入学しました。
松竹芸能にお世話になろうと決めた理由は2つあって、ひとつは、「授業が週1回だから学校と両立出来る」と思ったこと。
もうひとつは、オセロさんなどはじめとする「大活躍の女芸人がたくさん所属している」ということでした。
蓋を開けてみたら、学業との両立は思っていた以上に大変でしたね。
でもタレントスクールに入学したときに、大学は卒業しておこうと心に決めていたので、頑張りました。
芸人って、アホというイメージがあるかもしれないのですけれども、最近は高学歴の芸人も増えています。
そういう中で戦っていくには、自分もやはりちゃんと大学を卒業しておかなければいけないという考えがずっとありました。
卒業論文もお笑いとコントについてのことを書きましたね。
コントを観た人に「面白い!」と思わせるにはどういう要素が必要かということを、統計をとったりしました。
回答は「丸い」「四角い」「やさしい」「こわい」みたいな感じだったと思うのですが、形容詞をリストアップして、
それぞれに1から5までの評価をつけてもらうかたちでアンケートをとりました。
-「丸い」!
お聞きしただけではお笑いとは直結しなさそうな形容詞なのが、面白いですね!(笑)
そうなんです。
研究の結果、「安心感」みたいなものが「面白い」と思うための要素だという結論を導き出しました。
この研究結果は、私自身とても納得いくものでしたね。
よく知らない人が出てきて、観客の心の中に「この人大丈夫かいな」という気持ちが少しでも芽生えてしまったら、それ以降なかなか笑えないものですよね。
-現在はコントというよりは漫才をされていますね。
そうですね。
もともとコントが好きだったんですけれど・・、今はがっつり漫才をしていますね(笑)。
神高生として頑張った3年間は、無駄ではなかった
-お笑い芸人として活躍されている中で、「神戸高校OGでよかった」と思われることはありますか。
社会に出たら、どんな業種でもそうなのかもしれませんが、
特にお笑いの世界って理不尽なことが多いので、落ち込んでしまうこともあります。
でもそういうときに、自分が神戸高校出身であるということが一つの大きな自信になっていますね。
「あれだけのレベルの人たちの中で頑張ったあの3年間は、無駄ではなかった」と思っています。(笑)
大学時代の友人とはもうあまり会うことはないけれど、
高校時代の友人とはたまに会ったりしますね。頻繁に会うのはそのうちの1人、2人ですけれど。
-神戸高校で学んだことで、今のお仕事に活かされていることはありますか。
う~ん。
直結はしませんけれど、私は、大学受験の勉強と今の仕事は似ているところがあると感じています。
今はレポーターのようなお仕事をすることもあるのですが、
現地で取材するとき、もちろん下調べはしていくものの、予定通りにいかないこともあります。
大学受験も同じですよね。
過去問を解いて、準備して試験に臨むけれども、予定していた問題が出るとは限らない。
予定外のことが起こった時に求められる対応力といいますか、底力みたいなものは、神戸高校→大学受験で培われたものだと思っています。
養成所の同期で今も残っているのは私たちだけです
相方の赤阪さんと(右が高橋さん)
-相方である赤阪さんについて教えていただけますか。
相方とは養成所で出会いました。
どうして彼女と組むことになったかといいますと・・・。「消去法」ですね!(笑)
女の子とやりたかったし、あまりに変わった感じの子とはやりたくなかったし、自分と違うタイプの子をさがしていたのですが、
周りを見回したらその条件を満たしているのが今の相方しかいませんでした。(笑)
彼女はおとなしくて、「自分の性格を変えたくて養成所に来た」と言っているような人でした。
私より5歳年上なのですが、それもあってうまくいっているのかなと思います。
コンビなので、もちろん今まで何もなかったわけではありませんが・・。
当時、同期は60人くらいいたのですが、もう私たち二人しか残っていません。
前後の期、つまり半年先輩、半年後輩、の人たちも誰一人残っていないんです。
厳しい世界なので、開講してから1か月で人数が半分に減りました。
「1か月で辞めるなら、なんでお金出してわざわざ入ってきてん?!」と思っていたら、
1年後にはさらにその半分になっていました。
相方に至っては、「お前が一番最初にいなくなるだろう」なんて散々みんなにいじられていたんですけれどね。
わからないものですよね(笑)。
-テレビやラジオ、舞台のお仕事の傍ら、練習もしなくてはならないし、新作ネタもどんどん作らなくてはいけない。お笑い芸人のお仕事はとても大変だとお察しします。
そうですね。どんどん新作は作っていますよ!
ネタは私がメインになって書いています。もちろん相方と相談しながら仕上げていくのですけれど。
一緒にいるときにおおまかな流れを決めて、そこから私が「ここにこういうボケを」と、付け足しながら形にしていくことが多いですかね。
松竹芸能の角座という劇場があるのですが、毎月そこでライブをやっています。ここでのネタは基本新ネタを披露します。どうしても用意できなかったときは、持ちネタを使う時もありますけれど。
神戸で言いますと、喜楽館という劇場でライブをしたこともありますよ。
-単独ライブもされているんですよね。
はい。年に一度、単独ライブをやっています。
120人くらい入る劇場なのですが、ありがたいことに毎年完売になります。
毎年「単独ライブで新ネタを7本披露」を目標にしています。それを先ほど申し上げた毎月の角座でのライブで使うこともあります。
「どうしよう」ではなく「どうしてやろう!」と口に出してみてください
-では最後に、現在コロナ感染拡大の中、勉学・部活に励む後輩たちにむけて、なにかメッセージをお願いします!
正直、今回のコロナは私たちの仕事への打撃も厳しく、泣きそうになりますが、
こんな時こそ 「こっからどうしてやろう。」と、これからもっとオモロイことをしてやろうと企んでいるところです。
私はいつも自分にとって辛い状況やしんどい時、
「どうしよう...」ではなく「どうしてやろう!」と考えるようにしています。
辛い出来事に飲まれるのではなく、自分が主体となることで、その中にいる自分を楽しめたら勝ちだ、と思ってます。
今のコロナもそうですが、
これからも生きてるうちに、遭遇したことのないような状況や出来事がたくさんあるかもしれません。
みなさんも、どうしても辛い時やしんどい時に、騙されたと思って
「どうしよう。」ではなく 「どうしてやろう!」と口に出してみてください。
すると知らず知らずに前を向くことができ、何かやるべきことが見えてくると思います!
私も頑張るし一緒に頑張りましょう!
そしてどうか「アルミカン」というお笑い芸人を、
これを期に名前だけでも覚えてください!!
-お忙しいところ長時間ありがとうございました。これからの益々のご活躍をお祈りしています!
全国の卒業生の皆さま、松竹芸能所属のお笑いコンビ、アルミカンを、高橋さんを、応援よろしくお願いいたします!