まさに「時宜を得た」研究を始めたところでした
神戸の旧税関前にて、自動運転車の公道走行実験(右端が森川さん)
-この度は、お忙しいところインタビューをお引き受けくださいまして、ありがとうございます。
森川さんは、交通システム分析などの研究や、交通政策提言等を行っておられ、「交通界の第一人者」と伺っております。
少し具体的に、研究内容を教えていただけますか。
人は何のために移動するのか、どのような状況の時にどのような交通手段を選ぶのか、交通とまちやライフスタイルの関係はどうか、などの基礎的研究から始まり、
最近では自動運転車を使ったまちづくりや、信号の要らない道路と車などの新技術にも取り組んでいます。
ここ数年は、情報工学の若手研究者と連携して、自分たちで自動運転車を開発し、それを組み入れた交通システムを実際の都市や田舎で実装する研究に一番時間を割いています。
基礎的な研究としては、移動を伴う実空間活動(職場に行って働く、会って話をする、観光地に行く、実際の店で買い物するなど)は、情報通信技術を使ったサイバー活動(テレワーク、ネットショッピングなど)とどう違うのかという研究を2019年の秋に始めたのですが、
その数か月後に新型コロナウィルスのパンデミックが起き、まさに「時宜を得た」研究を始めたと感じています。
-おっしゃるとおり、まさに今!のご研究ですね。
そのような分野に興味を持たれたきっかけを教えてください。
高校時代から交通の世界にご興味をお持ちだったのでしょうか。
高校時代は都市計画に興味があって、工学部の土木工学科に入りました。
土木工学科の中の計画系の研究の大半は交通研究であり、自然と交通研究に興味を持ちました。
京都大学での卒業論文のテーマは、阪神高速湾岸線ができた時の社会的効果を定量的に計算するというものでした。
公共事業評価という分野の研究で、典型的には社会的便益を金銭換算し、整備に必要な費用と比較して評価します。
指導教員に「それでは面白くないので、金銭では測れない生の社会的指標で評価せよ」という課題を与えられ、
平均寿命や下水道普及率などで評価することにしました。
高速道路整備がこれらの指標にどのように影響を与えるかを「風が吹けば桶屋が儲かる」式の構造を仮定して、
その構造に含まれるパラメータ値を計算して、
湾岸線ができた時の指標値を予測しました。
ところがパラメータ値の計算がうまくいかず、芦屋市の平均寿命が1万歳を超えるという予測結果になってしまって(笑)。
指導教員はそのまま学会発表せよとのことで発表したのですが、学会会場で爆笑を起こしてしまいました(笑)。
そんなことでその研究には見切りをつけ、修士論文のテーマはその時の講座の教授が関心を持っていた「沿岸域」をどう利用すべきかに取り組みました。
大阪湾の沿岸部を1キロメッシュに分割して、大阪湾全体で必要とされる土地利用の需要量と、各メッシュが持つ適正度から沿岸域利用計画案を作りましたが、あまりパッとした研究ではありませんでしたね。
修士課程を修了して建設省(当時)に行くことが内定していたのですが、その教授がもうすぐ定年退官されるということで、大学に助手として残るよう説得されて、あまり何も考えずに建設省の道を捨てて大学教員になりました。
-建設省の内定を断って大学に残られたのですね。
その後マサチュ―セッツ工科大学に行かれたとお聞きしています。
はい。あまり何も考えずに教員として残ることを選択しました。
その後、博士号取得のためのテーマを模索していた助手一年目に、その教授から「僕はもうすぐ定年で君の指導はできないからアメリカにでも行ってドクターを取ってきなさい」と言われ、
またまたあまり何も考えずにたくさんのアメリカの大学に入学願書を出したのです。
最初に合格の返事をもらったMITに行くことにしました。
-最初に合格のお返事があったのがMIT、マサチュ―セッツ工科大学とは!(驚)
はい。それが26歳の時でした。
MITではいやおうなしに生まれて初めて死ぬほど勉強させられ、4年間でマスターとドクターを取得することができました。
そこで出会った指導教員が、Moshe Ben-Akiva教授とDaniel McFadden教授で、McFadden教授は2000年にノーベル経済学賞を授与されました。
その時の研究テーマである、人間の選択行動分析モデルの開発が、現在でも私の研究のベースになっています。
現在、交通の分野では「100年に1回の革命期」と言われ、自動運転やシェアリングの話題がニュースを賑わせています。
私も現在所属する名古屋大学で、情報工学系の若い研究者たちと自動運転車の開発に携わっていますが、
自動運転のソフト開発は私はできないので、その自動運転車がどのようなサービスに導入されれば人々がそれを使い、
そしてどのように幸せになるだろうかという研究を担当しています。
指導教員がノーベル経済学賞を取ったように、どちらかというと経済学や社会心理学に近い分野の研究に携わっています。
人間の行動は研究すればするほど、不可解で予測不能な点があることが、研究の奥深さになっていると思って、しつこく探求しています。
-このお写真は研究の様子でしょうか。
これは、2019年神戸の旧税関前で名古屋大学の自動運転車の公道走行実験を行ったときのものです。
私は右端にいます。
分かりにくいですけれど、後部座席に久元喜造神戸市長と片山さつき地方創生大臣に乗っていただきました。
神戸高校時代に女子生徒と話した延べ時間は、1時間くらいでした
円山川城崎漕艇場にて、ボート部の県大会で同級生部員と(右端が森川さん)
-とても優秀でいらしたのですね!
神戸高校時代は、どのような高校生でしたか。
私立高校に行くつもりはなく、学区内でいろいろな面で一番良い高校が神戸高校でしたから、神戸高校に進学しました。
高校時代はボート部に所属していました。
あまり知られていない運動部ですが、深江の商船大学(当時)の艇庫に神戸高校のボートを保管してもらっていて、深江の汚い海で練習をしていました。
クラス担任はなぜか3年間通して英語の北条信二先生(故人)でした。北条先生のリーダーの授業は厳しく、
次から次へとあてられるので、徹底的に予習をしていかないと本当に授業中に泣きを見ることになります。
おかげで英語は比較的得意になり、大学卒業後のアメリカ留学でもさほど困りませんでした。
社会人になってから英語を使えるようになるには、受験英語をバカにしてはいけません。受験英語を徹底的にやっておけば、会話にもとても役に立ちます。
2年生から理系クラスだったので、2年生、3年生は、男子40名、女子7名という男子校のような雰囲気での高校生活でしたね。
3年間を通じて女子生徒と話をした延べ時間は1時間ぐらいではないでしょうか。
当時はそれが普通だったと思います。
大学受験では大雪の影響で京都にとんぼ返り
-神戸高校卒業後は京都大学に進学されましたが、大学受験のエピソードはありますか。
まだ、国立大学は一期校と二期校に時期を分けて受験する時代でした。
私の受験した京都大学はひな祭りのころに行われる3日間の入試で、神戸の実家から連日通っての受験だったのですが、
2日目を終えて実家に帰ってくると、関西に大雪が降り始めたんです。
翌日電車がストップする恐れがあったので、すぐに京都市内のホテルを予約して、夜のうちに京都にトンボ返りしましたね。
寒かったのと、生まれて初めての一人でのホテル宿泊に慣れず、風邪をひいてしまい、受験最終日は最悪の体調だった思い出があります。
なんとか合格したのでよかったですが。
小さいころは「手作りドラムセット」を叩いていました
-ご趣味が「ドラム」とお聞きしました。
私の世代は、小学校高学年時にビートルズの末期と日本でのグループサウンズ大流行を経験しており、あのようなエレキギターやドラムのサウンドに憧れていました。
家には当然ドラムセットは無かったのですが、中学・高校生のころには自宅にあった、角砂糖缶、ティッシュペーパーボックス、扇風機の前面グリルなどを使った、手作りドラムセットを台所の菜箸を使って叩いていました。角砂糖缶、今は見ないですよね(笑)。
その後、兄が大学入学後に軽音楽部に入り、ジャズやボサノバのレコードをたくさん買って家でかけていたので、自然とジャズ系の音楽に好みが変わってきました。
私も、大学入学後に軽音楽部に入部し本格的にジャズドラムを始めました。京都大学ではなく、神戸大学の軽音楽部だったのですけれども。
今もオヤジバンドで細々と続けていますよ。
20代以降に「大逆転」はいくらでも起きます。高校生の間は「基礎力」を養ってほしいです
-ドラムセットを手作りされていたのですか!素敵ですね!
そろそろお時間となってしまいました。
最後に、神戸高校の後輩たちに、メッセージをお願いします。
高校時代は、それから先の長い人生に不可欠な基礎力をつける最も大事な時期だと思います。
英語の話は先ほどふれましたが、
分析的な思考力をつけるための物理や数学。
柔軟な感性を養うための読書。
芸術やスポーツを目指す人には徹底的な基礎練習が後の人生を豊かにしてくれるはずです。
スポーツ選手を目指す人以外にも、基礎体力は壮年以降の生活を左右する大きな要素ですので、運動部所属でない人もランニングなどを通して基礎体力をつけておくことをお勧めします。
現在、人間関係や自分の能力について悩んいる人には「気にしなくていい」と言いたいです。
長い人生の中で高校時代の悩みは、振り返ればちっぽけなものです。
20代以降に大逆転はいくらでもおきます。
今は楽なことを少し我慢して基礎力を養っておけば、必ず後にチャンスは訪れるはずです。
-ありがとうございました!
今後の益々のご活躍を、お祈りしております!