兵庫県立神戸高等学校同窓会

インタビューのコーナー

皆さん、こんにちは!
大好評のインタビューコーナー第22回は、創業明治5年 日本一古い洋家具店 永田良介商店 6代目 永田泰資さん(56回生)です!
祖父との約束を果たすため 神戸高校に
関西テレビ「となりの人間国宝さん」に認定
ーこのたびはお忙しい中、インタビューをお引き受けいただきありがとうございます!
 先日、関西テレビの「よ~いどん!」で『となりの人間国宝さん』に認定されていましたね!(笑)


そうですね。いただいたステッカーは店舗1階に飾らせていただいています。

たくさんの方が番組を観てくださっていたようです。


―いろいろお聞きしたいお話がたくさんありますが、
 まずは、神戸高校に入られた頃のお話からお聞かせいただけますか。


祖父(四代目・良一郎氏)は神戸一中卒業、父(五代目・耕一氏)は神戸高校卒業だったので、ふんわりと、「自分も神戸高校に行くのかな」と思っていました。でも中学2年生までは、さほど成績はよくありませんでした。

中学3年生の時に祖父が亡くなったのですが、亡くなる前に「泰資、神戸高校に行けよ」と言われて、勢いで「うん!」と返事してしまいました。
約束は守らなければまずいなと、そこから少し真面目に勉強して、神戸高校に入りました。



小さい頃からサッカークラブに入っていたので、ほかの中学校にも知り合いがたくさんいました。
神戸高校に入学後は迷いなくサッカー部に入ったのですが、小さいころから所属していたサッカーチームのメンバーが神戸高校サッカー部に集結しているような感じで(笑)、知っているメンバーだらけ。

まったく違和感なくサッカー部ライフがスタートした記憶があります。

今でも私の同期は、神戸高校サッカー部のOB会などの活動をやっているようです。

 
文化祭の思い出は、大量のゴボウのささがき
永田良介商店
ー神戸高校時代、印象に残っていることは。

僕らが高校1年生の時に新校舎ができて、引越し作業がありました。
サッカー部の1年生もお手伝いを頑張ったのですが、図書室のいろいろ積まれているものの中から麻雀の牌が出てきて、「なんでこんなところにこんなものが!?」と仰天した記憶があります。
新校舎に持って行くのもなぁということで、部室に持って行って、みんなで麻雀をやりました(笑)。


文化祭では「炊き込みご飯」を出すことになったのですが、なぜか私はゴボウの担当になって…。
あれだけの量の「ゴボウのささがき」をしたのは人生で最初で最後です。
途中から自分でも何をやっているかわからなくなりつつ、ただひたすらゴボウをささがきし続けていたのが、私の文化祭の思い出です(笑)。



修学旅行の時のトラブルも愉快でした。

サッカー部は修学旅行の初日と、試合がかぶってしまいました。
試合に出場するメンバー10人くらいは、試合後、三宮から顧問の先生と沖縄に飛ぶことになっていました。

顧問の先生は旅行会社から、「三宮→伊丹空港」の空港バスのチケットを渡されていたので、誰も疑わずにバスに乗って伊丹空港に行ったのですが、空港についてから「あれ?那覇便、もう飛んでなくない?!」って(笑)。

顧問の先生が旅行会社に問い合わせたら、旅行会社の手違いで、本当は関西国際空港出発の便だったと判明し、慌ててみんなで関西国際空港に移動しました。
無事に沖縄でみんなに合流した時は既に夜でした。

顧問の先生は旅行会社への怒りがおさまる気配もなく、旅行会社も申し訳ないと思ったのでしょう、特別にとてもとても豪勢な夕食が用意されていたのを覚えています。


高校時代、試合の時によく聞いた「必勝応援歌」は、同期の結婚式のたびに歌っていました。
サリマライズも覚えています!
校歌は、卒業後に歌う機会はありませんでしたが、歌えと言われたら、今でも普通に歌えそうな気がします。



-神戸高校卒業後は早稲田大学に進学されたのですね。
 
文系だったのですが法律関係には興味がなかったので、経営系・経済系に進学したいなと漠然と思っていて、
結果的に早稲田大学商学部に進学しました。

東京では特段、神戸高校OBOGと集う機会はありませんでしたが、
たまたま同じ大学・同じ学部に進学したサッカー部の同期がいたので、彼とはよく連絡を取り合っていました。
 
大学ではサッカーをやることはなく、スキーサークルに入りました。
「基礎スキー」という種目をやっていました。いかに上手に滑るか、というところで点数を競う競技です。サークルとしては私が在籍中に全国優勝もしました。
 
卒業後、某ハウスメーカーに就職し4年間勤めたあと、家業を継ぐために退職して神戸に戻ってきました。
4年で退職すると決めていたわけではありませんでしたが、父が年齢的に家具を持つのをしんどそうにしている姿を見て、
「そろそろ継がなくてはいけないかな」と思ったタイミングが、ちょうどその時でした。
 


 
発信力を高めることを意識してきました
永田良介商店 店舗1階
―帰神されて家業を継ぐにあたり、最初に着手されたこと、取り組まれたことを教えていただけますか。

発信力の強化ですね。
もちろん、たくさんの顧客の皆さまに支えられて、今までも会社としてはきちんと回ってきました。
けれどもこのままではいけない、もっと多くの方に永田良介商店の家具を知って、使っていただきたいと思いました。

東京の某有名百貨店で催事をするにしても、手を変え、品を変え、見せ方を変え、いろいろ試行錯誤してみたとて、
まぁ、なかなか売れない。
情報の発信という点を強化しなくては、限界があるなと考えました。


まずはカタログ類を刷新したり、ホームページを変えてみたりといったことから着手しました。


家具のカタログを変えるというのが一番大変だったかもしれません。

カタログ用の家具写真を撮るときは、ちゃんとインテリアができあがっているところに家具を持って行って、家具をしつらえて、セッティングして、やっと1枚の写真が撮れるので、今のスチールのストックを撮り貯めるのに、2年くらいかかりました。

その後ようやく、店舗のリニューアルやスリッパの販売にも着手できてきました。


ー昨年開始されたという、世界のハイブランドファブリックを用いた「世界に1足だけのスリッパ」のことですね!
 先ほど店舗1階で実物を拝見しました。


昨年開始した「R.Nagata Slippers ー 世界に1足だけのスリッパ」は、国産牛革を使用したスリッパです。ただ優雅なだけでなく、日本人の足型を考えた上で、一足一足丁寧に作られているので、履き心地も抜群です。
 
おかげさまで初回生産の60足は、開始1か月で完売する好発進となりました。
 

オンラインショップも開始しました。
今はスリッパとアンティーク小物のみご購入いただけるサイトですが、少しリニューアルして、5月頃から家具もオンラインでオーダーいただけるようになる予定です。
弊社はオーダーメイドの家具販売店ですから、オンラインでシュミレーションしてからご注文いただけるシステムにしています。


ー御社のホームページも拝見しました。神戸一中をはじめとして、天皇の御行幸先に納品されてきた歴史もあるとか。
 そのような重厚な伝統を継承しながらも、新しいことにもどんどん取り組んでいらっしゃるのですね。


そうですね。「変わる」ことを恐れていたら何もできないと思います。
先代に対してプレッシャーを感じることはありません。のびのびとやらせていただいています。

いろいろ取り組んできた過程において、私が大切にしてきたことは、なによりも「人の出会い」や「つながり」です。

たとえばスリッパについていうならば、家具屋である弊社ではスリッパは作れないですから、
私どもが考えているスリッパを作ってくださる方と繋がることができて初めて、
「世界に一足しかないスリッパ」の構想が実現しました。

百貨店での催事にしても、百貨店を突然訪ねて「催事をさせてください」と言ったところで、大した場所は貸してくれません。ですから、まずは先方との関係をしっかり築くことを最優先に動いてきました。


-社会に出られてから、「神戸高校OBで良かった」と思われることはありますか。
 
ビジネス・プライベート問わず、どんな場所に出て行っても、神戸高校を卒業しましたと言って馬鹿にされることはないですから、そういう点で「神戸高校に行っていてよかった」と思うことはあります。

 神戸高校卒業生のネットワークにいろいろと助けられているなと感じることもたくさんありますよ。


 
大学時代に始めたスキーは 今も続けています
永田良介商店 店舗2階
―現在のプライベートについても教えていただけますか。
 サッカーを続けられているのですか。
 
いえいえ。サッカーはやっていません。 
理由?理由は単純で、「もう走れない」からです(笑)。
高校卒業後も続けていたなら違っていたかもしれませんが、大学時代は先ほどお話したとおりスキーをやっていたので…。
 
競技としてはスキーも続けていませんし、子どもが生まれてからはなかなかスキーにも行けていませんが、それでもスキーは今も続けています。

先日2歳になった息子を初めてゲレンデに連れて行けたのは、嬉しかったですね。
今年はソリでしたが、来年はいよいよ板を履かせようかなと思っています。
 
自身の体調を整えるためにパーソナルトレーニングにも行っていましたが、息子があまりに元気良すぎて、息子と闘わざるを得なくなったので、パーソナルトレーニングには行けなくなりました。
 
ネットでなんでも買えてしまう時代だからこそ、 魅力ある街・魅力ある店でありたい
(上)神戸レザー (下)三宮中央通り将来像パース
―過日、三宮中央通りが全国初の試みを行うという報道の中で、永田さんをお見かけしました。
 まちづくりの取り組みもされておられるのでしょうか。


三宮中央通りまちづくり協議会のメンバーとして、弊社の店舗の前も含め、三宮の歩道空間の有効活用に取り組んでいます。

今年2月15日、三宮中央通りが全国初の「歩行者利便増進道路(通称 ほこみち)」に指定されました。
指定された通りでは、利便増進誘導区域(歩行者が安全に通行できる道路幅員を確保できる区域)に限られてはいるものの、
飲食店のテラス営業や、路面販売など、これまでできなかった歩道の有効活用が可能になりました。


その取り組みについて、フジテレビと、関西テレビのニュース番組で取り上げていただきました。


ータイムリーと言いますか、このコロナの感染拡大の中、歩道の有効活用は「新たな街の楽しみ方」の実現につながる気がします。


神戸は観光が弱い弱いとよく言われますけれど、街が衰えていく理由は、単純に、個店の魅力がないからだと私は考えています。
いまやネットでなんでも買えてしまう時代ですから、そこに行ってまで訪れたい、というような店が街になければ、街に人は来ないですよね。

そこにしかないもの、そこでしか見られないものがあるかどうか。
弊社もそういう魅力がある店であり続けたいと考えています。


ー神戸レザー協同組合の副理事長もされておられるとか。

神戸ビーフは有名です。
世界中の人が知っていると言っても過言ではありません。
神戸ビーフとして認定されるには、厳しい基準をクリアする必要があります。

では、これまでその皮革はどうなっていたか、ご存知ですか。


神戸ビーフ以外の牛の皮革と同じ扱いで利用されていました。


それはもったいない、皮革もブランド化しようということで、2019年に神戸レザー協同組合を設立しました。
海外の国際見本市への出展、海外バイヤー向けのオンライン商談会、海外の百貨店などで販売する商品の製品化が実現するなど、
すこしずつ世界で認知されてきています。
海外のメディアで取り上げていただくことも増えました。

今私が履いているスニーカーもその取り組みの中で制作したものです。水を弾く革製スニーカーです。

今後も、神戸のものづくりを、世界に向けて発信していきたいなと思っています。
 
とにかくやってみる。その方が絶対、面白い。
-最後に。神戸高校の後輩たちに、メッセージをいただけますか。

3年間、いろいろなことを楽しんでいただきたいです。
そして、一生付き合っていける仲間を作ってほしいです。

人生においてどのステージでも友だちはできますけれど、高校や大学時代に出会う友だちは、あまりフィルターなく友だちでいられる相手である気がします。
社会に出てからできる友だちは、「どこどこ」の「だれだれ」という感じで知り合うことが多いといいましょうか。
その点、ありのままの個人として出会った高校時代の仲間は、素のままで一生付き合っていけるであろう貴重な仲間と言えますね。



また、中高生の時って、どこか冷めた感じになる時期ありますよね。
頑張ることを「カッコ悪い」と思ってしまうとか…。

でもそれはとてももったいないです。
この歳になって、強く感じることです。
「カッコ悪いなんて思わずに、いろいろやってみたらいいのに!」「なんでもやってみたほうが面白いよ」と言いたいです(笑)。


-ありがとうございました!
 今後も永田さんのご活躍を、同窓生一同、応援しております!
≪永田泰資氏 プロフィール≫

神戸大学発達科学部附属住吉小学校・中学校 → 神戸高校 → 早稲田大学商学部 卒業。

永田良介商店 6代目店主
株式会社TK.International代表取締役
神戸レザー協同組合 副理事長
神戸家具青年部会 会長
三宮中央通りまちづくり協議会 企画部会長

永田良介商店
https://r-nagata.co.jp/