兵庫県立神戸高等学校同窓会

インタビューのコーナー

みなさん、こんにちは!
大好評のインタビューコーナー第9回は、有限会社六甲技研代表取締役、灘を愛する”naddist” 慈憲一さん(37回生)です!
灘百選の会事務局長、摩耶山再生の会事務局長・・。多岐にわたる活動をしています
東神戸マラソンスタート前
同窓会広報担当者(以下「WM」);
お忙しいところインタビューをお引き受けくださり、本当にありがとうございます!
灘愛溢れる有名人の慈さん、まさか神戸高校卒業生でいらっしゃったとは存じ上げませんでした。

慈さん;
震災後から現在に至るまで、多岐にわたる活動をしています。
たとえば灘区にこだわったフリーペーパー、メルマガを発行したり、ゲリライベントを多数開催したり・・。
灘百選の会事務局長も務めており、市民講座「灘大学」の運営もしていますし、摩耶山再生の会事務局長としてリュックサックマーケットなどイベント開催しています。

WM;
Facebookもフォローして拝見しています。最近は摩耶の活動も多いようなのですが。

慈さん;
そうですね。摩耶山の仕掛け人としての活動もしています。たとえば最近は旧摩耶観光ホテルなどの山中の遺跡群を巡る「マヤ遺跡ガイドウォーク」を実施していて、人気です。2013年には摩耶山上のショップ&インフォメーション「monte702」を開き、今はその運営もしています。

WM;
慈さんが投稿されておられる記事、とてもシュールで面白いです。最近のFacebookの記事でツボにはまり笑ってしまったのは、「東神戸マラソン」の給水ポイントの記事でした!

慈さん;
東神戸マラソン」「六甲縦走キャンンボール」など草レースの運営にも関わっていますからね。
2011年に神戸マラソンのコースが発表された時に灘区以東がコースから外されていました。「灘区と東灘区を走らないで何が神戸マラソンや!」ということで、灘区と東灘区、中央区の一部を走るフルマラソンイベント「東神戸マラソン」を神戸マラソン当日にぶつけることを思いつきました。最初は参加者15名くらいでしたけれど、今では100人くらいの参加者がいます。
​この東神戸マラソンはコース上のエイドが充実しています。特に「やめてまエイド」ではおいしいおつまみやお酒を用意してランナーを脱落させます。
でも本業はデザイン事務所(有限会社六甲技研)です。神戸高校同窓会との接点としては、この本業を通して「110年記念誌」と「120周年記念式典のパンフレット」のデザインをしました。
ちなみに「120周年記念式典のパンフレット」は、私が同窓生であることからか、ノーギャラでした。(苦笑)
「灘暮らし」が楽しくなるようないろいろな仕掛けを考えています
震災後
WM;
「やめてまエイド」、面白いですね!ぜひ取材させてください。
​話は変わりますが、神戸出身者は神戸が大好き、というのはよく聞く話ですよね。その中でも「灘」をこよなく愛していらっしゃる慈さん。どういったことがきっかけで、灘に関するいろいろな活動を始められたのでしょうか。

慈さん;
私は高校卒業後、大学の進学で一度神戸を離れました。そのまま東京のデザイン事務所に就職し、神戸には年に1〜2回程度帰ってくる程度でしたね。
1995年にあの阪神淡路大震災が起きました。地震発生時は東京にいましたが、翌々日帰神したときに、被災した実家を目の当たりにして打ちのめされました。
震災がきっかけでその翌年に勤めていた会社を辞めて神戸に戻り、地元の復興委員会の手伝いを始めました。
生まれ育った街が壊れてしまったことによってアイデンティティが崩壊したといっても過言ではありません。復興の過程でのつらい体験もありましたから、「楽しく街と関わる活動」を勝手に始めました。
神戸、なかでも灘区は、暮らせば良さがわかる街だと思います。
一方、街は永遠にあるものではないことも事実だと、震災で被災したその灘の街を目の当たりにした経験から学びました。
今までも、これからも、「灘暮らし」が楽しくなるようないろいろな仕掛けを考えていきたいですね。

WM;
そうですね。私も震災時灘区民でしたので、灘区で被災しました。震災直後にJR六甲道近辺まで来たとき、衝撃で身体が震えたのを今でも覚えています。灘暮らしが楽しくなるような仕掛け、これからも期待しています!
最近では灘区、いや日本以外でもご活躍とのこと。先日は韓国にて防災講演をされたとか。どういうきっかけで韓国で講演をされることになったのでしょうか。

慈さん;
「BE KOBE 震災から20年、できたこと、できなかったこと」という本に載っていた僕のインタビューを見たハンギョレの女性記者からオファーがありました。昨年韓国の慶尚北道で地震がありましたし、韓国でも防災についての意識が高まっているようです。

 
高校に入ってからついていけずやる気をなくしました。(笑)
WM; 
震災の経験があるからこそできる活動をされておられるのですね。世界各国で防災意識が高まることを期待したいですね。ところで慈さんはどんな高校生でしたか。

慈さん;
神戸高校にどうしても入りたい!というよりは、「一か八かで受けたら運良く受かるも?」というような感じで受験し合格しました。
でも入学後まわりについていけず・・やる気をなくしました。バレー部を1年で退部、流浪の帰宅部ライフを送ることに。帰宅部といっても、実際は半ば強制的に読書クラブに所属させられていましたがね。毎週水曜日の放課後に、図書館で1時間本を読んで帰っていました。
遅刻、早退が多く、学校をサボって水道筋のゲームセンターに行ったり三宮をウロウロしたこともありましたね。
毎年追試を受けながらギリギリ進級、卒業した、というかんじです。大学はデザイン関係に進みたかったので、京都の某大学を受けて撃沈しました。
結果、浪人したわけですが、浪人時代にはじめて勉強が楽しいと感じました。予備校の講師の先生の教え方がうまかったんだと思っています。
神戸高校OBでよかったと思うこと...優秀な卒業生に「先輩面」できることですかね
WM;
慈さんが高校ご卒業後、「神戸高校OBでよかった」と思われるようなできごとはありましたか。

慈さん;
正直に言っていいですか?ほとんどありませんね・・。
強いて挙げれば花谷泰広さん(47回生)のような優秀な卒業生に「先輩ヅラ」できることでしょうか。(笑)

WM;
​正直にありがとうございます!(笑)
​慈さんご自身が「よかった」と思われることはなかったかもしれませんが、私のような慈さんの後輩たちが、「えっ、イベントや雑誌でお見かけするあのnaddist慈憲一さんって、神戸高校OBだったんだ!」とうれしく誇らしく思っていることは忘れないでいてくださいね。
 
「坂バス」「裏山・摩耶山」「水道筋商店街」がおススメです
左:桜の下を走る坂バス右:マヤレンジャー(レッドが慈さん)
WM;
現在の神戸高校には、かつて「第一学区」と呼ばれていた校区以外からも生徒が入学しています。
遠方から神戸高校に通ってこられている後輩たちに、この3年間で灘区のこういうところを知ってもらいたい、という場所や行事はなにかありますか。

慈さん;
一つ目は「坂バス」ですね。私自身が神戸高校に行きたくなくなった理由の一つがあの激坂です。その経験も踏まえて(笑)知恵を絞って走らせたコミュニティバスが「坂バス」です。JR灘駅からわずか10分で学校までワープできます。坂道に心が折れそうになったらぜひ通学につかってください!最後の地獄坂は通っていないですけれどね。
二つ目は「裏山」、「摩耶山」です。
学校のすぐそばの住宅地の間を登って行く摩耶ケーブルのローカル線感はぜひ味わってほしいですね。年間5000円で乗り放題のパスポートもありますよ。勉強や部活に行き詰まったら山へどうぞ。
三つ目は王子公園駅から東に延びる「水道筋の商店街」です。
水道筋商店街は神戸市内でも貴重な地域密着型の懐かしい商店街と言えます。学校帰りに水ブラ(「水道筋をブラブラ散歩」の略)してみてください。美味しいものもい
ろいろアリ。ステキな出会いがあるかも♡ですよ。(笑)

WM;
摩耶ケーブルの乗り放題パスポート!!
私も灘区のことはいろいろ知っていると思っていましたが、こうしてお話を聞くだけで、知らなかった灘区の情報がどんどんと。
しかもあの「坂バス」が走っているのは、慈さんが働きかけられたということなのですね!

慈さん;
2012年1月に神戸市の南北交通の社会実験で運行しました。その時に認知度を上げるため、マヤレンジャーというヒーローに扮してバスに乗ったり、バス内でライブイベントをしたり、いろいろやりました。2013年から本運行を開始し、地域の足として定着しています。ちなみに私は「坂バス」の名付け親です。(笑)
卒業生の皆さん、たまには母校周辺や通学路を散歩しに来てください
リュックサックマーケット
WM;
最後になりましたが、このHPをご覧のみなさまに、ひとこといただけますか。

慈さん;
各方面でご活躍の卒業生の皆さん、たまには高校周辺や通学路を散歩しに来てください。
残っているものあり、なくなったものあり、いろいろな発見があると思います。
懐かしい風景に出会って青春時代がよみがえるかもしれませんよ!

WM; ありがとうございました。今後のご活躍も同窓生一同応援しています!
《慈 憲一氏 プロフィール》 

1966年神戸市灘区生まれ。
1986年千葉大学工学部工業意匠学科入学。
大学から灘を離れそのまま就職するも震災を機に帰灘。
灘区をテーマにしたフリーペーパー「naddism」、メールマガジン「naddist」、WEBサイト「ナダタマ」などでマニアックな灘情報を発信しつつ、
数々のイベント、ツアーを開催。摩耶山でショップmonte702開店。
灘百選の会事務局長、摩耶山再生の会事務局長、水道筋商店街非公式案内人など灘的肩書き多数。
有限会社六甲技研代表取締役。